朝日日本歴史人物事典 「下村彦右衛門」の解説
下村彦右衛門
生年:元禄1(1688)
江戸中期,大丸百貨店の創業者。伏見京町北8丁目に生まれ,幼名を竹兵衛。晩年の号は正啓で,そのまま法名とした。父は三郎兵衛兼誠,母は須磨,その第5子,3男。下村氏は摂津国茨木(大阪府茨木市)の武将中川氏の家臣の子孫で,惣左衛門の代に伏見に来住し,大坂の陣後,商に転じた。正啓は19歳のとき古着商(大文字屋)を継ぎ,京都へ行商を始めた。享保2(1717)年伏見に小店舗を開き,このときを大丸の創業とする。享保11年,大坂心斎橋に共同出資の呉服店を開いたあと,名古屋店,仕入店(京都),上之店(京都),大丸総本店などを設けた。名古屋では特権的呉服商と対抗するため,正札付現金売りを断行した。「先義後利」という経営理念を称え,社会との調和を重んじた。幕末期,新選組隊士の服装が大丸を通して調達されたという話が伝わっている。<参考文献>『大丸二百五拾年史』,宮本又次『大阪町人』
(安岡重明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報