白木屋(読み)しろきや

精選版 日本国語大辞典 「白木屋」の意味・読み・例文・類語

しろき‐や【白木屋】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 材木屋のうち、おもに製材した木材を商う店。
    1. [初出の実例]「右与兵衛儀、錦織村加左衛門所持之白木屋株譲受渡世致度願出候に付」(出典:美濃細目村庄屋留書‐天明四年(1784)二月)
  2. [ 2 ] 商店の名。寛文二年(一六六二)、材木商大村彦太郎江戸日本橋に開業した小間物屋に始まり、のち、江戸有数の呉服商となる。明治以後は百貨店となり、昭和三三年(一九五八)東横百貨店と合併、同四二年東急百貨店と改称したが、東急百貨店日本橋店は平成一一年(一九九九閉店。志呂喜屋。

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改訂新版 世界大百科事典 「白木屋」の意味・わかりやすい解説

白木屋 (しろきや)

江戸時代の商家屋号。なかでも江戸日本橋通町の呉服・小間物問屋白木屋彦太郎が著名である。初代大村彦太郎可全(1636-89)は近江国長浜村の生れで,1652年(承応1)京都で材木店を始めた。62年(寛文2)江戸に進出して小間物店設け,徐々に呉服類に手を広げ,木綿繰綿なども扱い,江戸有数の大店へ成長した。本店は京都におき,大村家主人は代々彦太郎を襲名して京都に住み,江戸店は支配人以下の奉公人に任された。呉服物は京都西陣で織り出される物や,諸国産であっても京都で練り,染め,張りの仕上げ加工をほどこした物が多いため,京都本店は仕入れを担当し,江戸店が販売を行い,江戸および関東,東北,甲州など東国各地を販路とした。奉公人で重役となり勤め上げた者には別家として屋号,のれん印を許したので,彼らも白木屋を称している。

 近代に入り,日本橋店(のちの東急百貨店日本橋店)を改組して白木屋呉服店を設立,近代的百貨店への一歩を踏み出した。1928年白木屋と改称,新発足したが,32年12月失火で本店4階以上を焼失した。この火災は初の高層建築火災で,死者14人,重傷者21人の惨事となった。和装の女性には羞恥心から飛び降りない者が多く被害を大きくしたが,以降女性が洋式下着を着用するきっかけになった事件として有名である。白木屋は58年東京急行グループの東横百貨店(1934創業)と合併,東横となったが,同社は67年東急百貨店と改称した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白木屋」の意味・わかりやすい解説

白木屋
しろきや

1662年(寛文2)江戸・日本橋に開業の呉服店白木屋から近代的百貨店へと発展した老舗(しにせ)。1956年(昭和31)東京急行電鉄(現、東急)の経営に移り、東急百貨店日本橋店となった。1999年(平成11)1月に336年の歴史に幕を閉じる。創業者の大村彦太郎(1636―1689)は近江(おうみ)の人。17、18歳で京都へ上り材木商白木屋を開業、27歳で江戸へ出て、一代で呉服商として成功した人物と伝えられている。1886年(明治19)には、いち早く百貨店白木屋に洋服部を開設したり、当主の和吉郎(10代彦太郎。1869―1927)を洋行させ新知識を吸収し、1903年(明治36)には売場を陳列式に改めたりするなど、明治末から大正時代にかけて、百貨店として三越(みつこし)と並ぶ先駆的な経営を行った。1932年(昭和7)12月16日の本店火災は「白木屋の大火」として災害史上有名。

[森 真澄]

『白木屋編・刊『白木屋三百年史』(1957)』


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百科事典マイペディア 「白木屋」の意味・わかりやすい解説

白木屋[株]【しろきや】

1662年,近江(おうみ)商人の大村彦太郎が江戸日本橋に開業した呉服店に発し,1919年株式会社となる。明治後半から販売品目を拡大,逐次百貨店化し,昭和初年まで三越と覇を競うほどだった。1932年,日本橋本店は大火にみまわれ,多数人の出入するビル火災に警告を発した。当時まだ多かった和装の女性のうち裾の乱れを嫌って逃げおくれた女性が出たため女性の洋式下着(ドロワーズ)普及のきっかけとなった事件としても有名。第2次大戦後,特に1952年から株式買占めなどで経営不安定となり,1958年東横百貨店(現東急百貨店)と合併。1999年1月,東急日本橋店が閉店し,この地に店を開いてから336年の歴史に幕を降ろした。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「白木屋」の解説

白木屋
しろきや

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
安政5.6(甲府・亀屋座)

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デジタル大辞泉プラス 「白木屋」の解説

白木屋(しろきや)

株式会社モンテローザが展開する居酒屋のチェーン。1983年、1号店オープン。

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世界大百科事典(旧版)内の白木屋の言及

【大村彦太郎】より

…名は道慈,彦太郎は通称。京都で1652年(慶安5)に白木屋を開店,初めは材木を扱うが,62年(寛文2)に江戸日本橋に小間物店を設け,さらに呉服・木綿類を扱い,呉服問屋として大をなすに至った。主人の所在する本店は京都に置き,江戸店は近江など上方(かみがた)出身の奉公人によって運営させた。…

【呉服屋】より

…〈現銀(げんぎん)掛値(かけね)なし〉のこの正札販売は,掛売中心であった当時の商慣習に大きな衝撃を与えた。また,白木屋は太物も取り扱って呉服太物屋を称し,その後こうした兼業が多くなった。18世紀からは染物,練物,張物そのほかの職人を抱えるようになった。…

【商業】より

…ことに高級絹織物の西陣織は京都商人が江戸へ出店を開いて売りさばいた。越後屋,大丸屋(現,大丸),白木屋は代表的な事例である。大坂は海運により商品を集散した。…

【少女歌劇】より

…現在は名称から〈少女〉の字をはずしているが,〈宝塚歌劇団〉〈松竹歌劇団〉の2劇団がある。
[宝塚歌劇団]
 1912年に白木屋呉服店が西野恵之助の提唱で少女歌劇団を結成,同店演芸場で歌劇《羽子板》を上演したのが少女歌劇のはじめといわれる。一方,大阪三越の少年音楽隊にヒントを得て箕面有馬(みのおありま)電気軌道株式会社(阪急電鉄の前身)の小林一三(いちぞう)が宝塚少女歌劇養成会を発足させ,14年に第1回公演を,宝塚新温泉プールを改造したパラダイス劇場で開いた。…

【問屋】より

… 近世の商品のなかで大きい地位を占めた呉服は趣味性の強い商品であった関係もあって,蔵物・納屋物とは異なった多様な流通経路をたどった。西陣で織られた絹織物は,上仲買の手をへて下仲買(室町問屋)の手に渡り,それが消費地へ送られるのが原則的な形であったが,京都に本拠をおき,江戸へ進出して発展した大呉服商(越後屋,白木屋,大丸屋など)は,おおむね次のような形をとった。江戸に小売店を設け,そこで販売する呉服を京都で仕入れる際,室町問屋の手を通さず,西陣の地に設けた直営店を通したり,上仲買から直接購入したりした。…

※「白木屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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