下植野村(読み)しもうえのむら

日本歴史地名大系 「下植野村」の解説

下植野村
しもうえのむら

[現在地名]大山崎町字下植野

およそ小泉こいずみ川・小畑おばた川・かつら川に三方を囲まれた平地にある。西は円明寺えんみようじ村。

「教言卿記」応永一二年(一四〇五)七月一九日条に、「山門雑掌大林坊来、下上野率分所ハ山門領、事書持来、公方様御物沙汰近日無其沙汰之処、如此来申、無故実歟、不審々々」とみえ、同一四年六月二九日条では「楠葉・下上野率分所」と並称されている。京都への水陸の流通路にあたるところから率分関が置かれたものである。文正二年(一四六七)三月六日付大山崎神人中宛守護代名倉泰家奉書(離宮八幡宮文書)には、

<資料は省略されています>

とある。応仁の乱の開戦直前にあたり、細川方か山名方の兵士が下植野の関を占拠したものであろう。


下植野村
しもうえのむら

[現在地名]勝浦市植野

上野中島うえのなかじま村の西に位置し、夷隅いすみ川が流れる。伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に植野村とみえ、高一千九七九石。寛永一〇年(一六三三)の関東真言宗新義本末寺帳に上野村長谷ちようこく(現真言宗智山派)がみえる。正保国絵図にも上野とあり、高一千九七五石。のち上植野村・下植野村および上野を冠称する諸村に分れたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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