下横山村
しもよこやまむら
[現在地名]両津市下横山
北は上横山村、東は釜屋村・潟端村、西・南にかけて三瀬川村(現金井町)。集落は洪積台地上に広がる。垣ノ内・屋敷ノ内・中屋敷・十二ノ前など中世村落の構成を知る地名がある。天正一七年(一五八九)八月一日の吉井之内出置地覚(歴代古案)に「一ケ所 下横山」とあり、寺社神領を除き上杉景勝の在番衆代官清水内蔵助・富所伯耆守の知行地。元禄七年(一六九四)の検地帳(下横山区有)では田一九町九反余・畑一一町一反余。名請人二五人。用水の長江川をめぐる水利関係史料が多い。宝暦一〇年(一七六〇)の番水売渡証文(神蔵一郎氏蔵)によると、長江川用水がかりの当村百姓権助・与七郎が、上田二反余と番水ほのぎ一番を代銭八〇〇文で夷町喜左衛門に売却し、水田とともに水利権が売買されている。
下横山村
しもよこやまむら
[現在地名]上陽町下横山、広川町小椎尾
上横山村の西にあり、下横山川が南流して星野川に合流する。近世前期は北川内組に属し、地下掛として轟名など六名があった。桑河内から耳納山に通じる峠にタブの巨木があり、その根元の首塔(自然石)は島原の乱に出陣した郷士の供養塔と伝える。享和二年(一八〇二)の春免高帳に北川内村下横山名として高一六八石とあり、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田一町六反余・開田九町九反余・畑田八反余・畑七町三反余・作畑一町二反余・居屋敷五反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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