日本歴史地名大系 「横山神社」の解説 横山神社よこやまじんじや 滋賀県:伊香郡木之本町杉野村横山神社[現在地名]木之本町杉野旧村社。「延喜式」神名帳の伊香(いか)郡「横山(ヨコヤマ)神社」に比定される。横山岳に降臨した大山祇(おおやまつみ)命を推古天皇二年経(きよう)ヶ滝の上に奉祀、すぎくらの社と称した。天徳元年(九五七)合祀していた本地仏馬頭観音を横山村(現滋賀県高月町)に移し、永享一一年(一四三九)本社を宮(みや)ノ内(うち)に遷座したと伝える。承応年中(一六五二―五五)の横山本宮大明神権現社頭図(伊香郡志)によれば、横山岳の南斜面、網谷(あみだに)川の支流白谷(しらたに)川上流の御銚子(ごちようし)滝の傍らに神明降臨の霊木と奥院があり、下流の御経(おきよう)の滝に本宮などの多くの堂宇が描かれる。 横山神社よこやまじんじや 福井県:坂井郡丸岡町坪江村横山神社[現在地名]丸岡町坪江横山南麓に鎮座。「延喜式」神名帳に記す坂井(さかい)郡三三座のうちの横山神社に比定される。祭神は継体天皇。旧郷社。「坂井郡誌」に記す社伝によれば、継体天皇が皇子の時、母の故郷越前国坂井郡に帰り、宮殿を造り住んだ。しかしこの辺りは湖水が多く、風浪によって越える水により稲や麻が害されるのを見て、西方に峡門を穿ち、水を大海に流して広野とした。以後、水害はなくなり、湖水跡には桑畑などが営まれるようになったという。天皇の功業に感謝し、祭祀されたのが当社で、坪江(つぼえ)郷三四ヵ村の総社として信仰されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報