下浮穴郡(読み)しもうけなぐん

日本歴史地名大系 「下浮穴郡」の解説

下浮穴郡
しもうけなぐん

伊予市、松前まさき町を除く伊予郡、松山市、温泉おんせん郡の重信しげのぶ川中流域から南へ上浮穴郡との境界線に至る地域を含む。したがって郡の南から東にかけて四国山地を含み、北は松山平野の南部、西は伊予灘に面する岩石海岸に終わっている。

郡の発足は明治一一年(一八七八)一二月一六日の「浮穴郡を上浮穴郡・下浮穴郡に分つ」(県布達)に始まる。上下二郡の境界は江戸時代の松山藩領の里分・山分を分ける東西線を、さらに西の大洲おおず新谷にいや両藩領に延長したもので、南部を上浮穴郡、北部を下浮穴郡とした。

明治一一年に生れた下浮穴郡の村数は五九ヵ村で、それが同二二年の町村制の実施によって一五ヵ村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む