下田奉行所跡
しもだぶぎようしよあと
稲生沢川の左岸に位置する。中村屋敷とよばれた。嘉永七年(一八五四)に締結された日米和親条約によって開港された下田に三度めの下田奉行が設置された。初め奉行所は下田町の宝福寺に置かれたが、安政東海地震による津波の被害から下田町の稲田寺に移り、その後下田町の北方の当地に決定された。下田奉行の設置とともに下田町・岡方村・本郷村・柿崎村・須崎村・中村は下田奉行所支配となった(安政二年「中村諸歎願書留」もりおの文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 