下社神宮寺跡(読み)しもしやじんぐうじあと

日本歴史地名大系 「下社神宮寺跡」の解説

下社神宮寺跡
しもしやじんぐうじあと

[現在地名]下諏訪町久保・武居

諏訪大社下社の別当寺。秋宮の東南部山王台さんのうだいの南の崖下の平地一帯承知しようち川までがその境域で、そこに千手堂(本地堂ともいう)を中心とし、三重塔・仁王門・弥勒堂などが配置されていた。池や島もあり、弁才天と貴船社が祀られていた。一帯の平地の北の崖上に大きな地を占めて大坊があり、神宮寺を支配していた。

海岸孤絶山法性院神宮寺と称し、真言宗開山弘法大師とされるが、年代は不詳。高野山では金剛頂院に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む