主として中世において荘園(しょうえん)領主などが、相手方への領主米支払い、配分のために使用した枡。年貢米収納のための納枡(おさめます)に相対するもので、下用(げよう)枡ともいわれた。容量は納枡より少なく、納枡との差額を「交分(きょうぶん)」と称した。東寺(とうじ)の「下行枡」、醍醐(だいご)寺の「横斗(よこます)」、興福寺の「会所枡(えしょます)」などは有名である。なお、戦国期においては納枡や下行枡に対して、荘域を越えた地域単位の地域枡が多くみられ、加地子米(かじしまい)の計量などに使用された。
[小島 晃]
『宝月圭吾著『日本史学研究叢書 中世量制史の研究』(1961・吉川弘文館)』
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...