日本歴史地名大系 「下谷町一丁目」の解説 下谷町一丁目したやまちいつちようめ 東京都:台東区旧下谷区地区下谷町一丁目[現在地名]台東区上野(うえの)四丁目・同六丁目上野町二丁目の北にあり、東は本授(ほんじゆ)寺と本光(ほんこう)寺、西は南北の道を隔てて上野仁王(うえのにおう)門前町と黒門前上野役人(くろもんまえうえのやくにん)屋敷、北は常在(じようざい)寺。古くは下谷村の内で、代官伊奈半左衛門の支配所であった。慶長一八年(一六一三)に名主の金子三郎兵衛と恩地惣兵衛が出願して、元和五年(一六一九)に町屋が起立した。当時はのちの上野仁王門前町・瀬川(せがわ)屋敷辺りから車(くるま)坂辺りまでが町内で、一丁目から三丁目までに分けられていた。正保元年(一六四四)に東叡山寛永寺の門前地になり、無年貢の代りに寛永寺本坊の御用人足と山内の掃除人足を出すことになった(文政町方書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by