常在寺(読み)じようざいじ

日本歴史地名大系 「常在寺」の解説

常在寺
じようざいじ

[現在地名]河口湖町小立

河口湖の南岸、妙法みようほう寺の西方に位置する。法華宗(本門流)、山号は霊鷲山、本尊は十界大曼荼羅。当寺は昔真言宗の精舎(「寺記」は高野山末広門田山法伝寺とする)であったが、文永―弘安(一二六四―八八)頃日蓮が当地を教化した際、住僧南陽坊が帰依し、中老日法の弟子となり日授と改名、寺檀とも改宗してその開基となり、この時常周入道も同じく開基となったため、当寺には二人の開基が存したという(甲斐国志)。ちなみに「寺記」では開山を日授、開基を常周入道としている。


常在寺
じようざいじ

[現在地名]塩田町大字馬場下字下野辺田

現塩田町の中心部の小高い丘の中腹にある。眼下に塩田町を、遠くには杵島きしま山・鹿島平野・有明海を一望できる。護国教王山と号し、真言宗御室派。

「肥前古跡縁起」によると、後鳥羽院の勅願により建立した霊場であり、元暦元年(一一八四)同寺七世の成紹法師が宮中で後鳥羽天皇の病気平癒の加持をなし、天皇の病気が回復したので、大黒天像を下賜されたと述べ、さらに大黒天について次のように記している。


常在寺
じようざいじ

[現在地名]岐阜市梶川町

金華きんか山の南西麓に位置し、寺の前の通りはかつて大手通とよばれ、稲葉山城大手門に通じた。「増補岐阜志略」では岐阜山下(尾張藩留山)地内にあたる。鷲林山と号し、日蓮宗、もと京都妙覚みようかく寺末。本尊文殊菩薩。斎藤道三など長井新左衛門尉系統の斎藤氏の帰依を受けたことで知られる。宝徳二年(一四五〇)斎藤妙椿妙覚寺の日範を招き開創したと伝える。


常在寺
じようざいじ

[現在地名]川棚町中組郷

川棚川右岸にある。要法山と号し、日蓮宗。本尊は宝塔・多宝塔如来・釈迦如来。寛永一七年(一六四〇)若狭国長源ちようげん(現福井県小浜市)の日審が当地の草庵で説法、自ら描いた曼荼羅を残したという。万治元年(一六五八)佐賀の日清がここで説法を行うと帰依する者が多く、大村藩四代藩主大村純長に許されて堂宇を建立、日清は開山となり、常在寺と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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