日本歴史地名大系 「下財部村」の解説 下財部村しもたからべむら 鹿児島県:曾於郡財部町下財部村[現在地名]財部町下財部北俣(きたまた)村の北に位置する。西部に瓶台(ひんでん)山があり、庄内(しようない)川に合流する溝(みぞ)ノ口(くち)川(下財部川)・木和田(きわだ)川などが流れる。中世は財部院のうちで、下財部ともみえる。近世には日向国諸県(もろかた)郡のうちとして財部郷に属し、初期の村切では数ヵ村からなっていた。〔中世〕建武四年(一三三七)四月二三日の建部清種軍忠状(池端文書)および暦応二年(一三三九)八月三〇日の建部清種軍忠状(同文書)に「下財部院」「下財部」とみえ、建武三年に当地の「新宮城」などに立籠った南朝方の肝付兼重の軍勢を禰寝(建部)清種らが攻撃している。暦応二年肝付方の落城した四ヵ城の一つとして下財部の新宮(しんぐう)城があげられている(同四年一二月二〇日「畠山直顕挙状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by