日本歴史地名大系 「財部郷」の解説
財部郷
たからべごう
近世、鹿児島藩が置いた外城(のち郷と称する)の一つで、
天正一五年(一五八七)五月の九州仕置ののち、文禄三年(一五九四)八月に北郷忠虎領内として財部など一五ヵ所・六万九千石の検地が行われたという(「北郷忠虎譜」旧記雑録)。同四年六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)によれば大隅のうち「たからべ」とみえ、地内の四千三三七石余が伊集院忠棟(幸侃)の知行となっている。諸郷地頭系図は地頭として天正八年頃という北郷氏から記しているが、慶長六年(一六〇一)二月二六日の伊集院久治・山田有信連署知行目録(旧記雑録)などのように、初代地頭といわれる伊集院久治こと抱節の発給した文書が少なくない。のち元和五年(一六一九)に隠居するまで喜入久正(紹嘉)が勤めているが(喜入氏系図など)、寛文七年(一六六七)からは伊集院忠饒が地頭になっている(「伊集院氏支流系図」旧記雑録)。郷内の
財部郷
たからごう
財部郷
たからべごう
財部郷
たからべごう
財部郷
たからべごう
財部郷
たからべごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報