日本歴史地名大系 「下野間村」の解説 下野間村しものまむら 兵庫県:多可郡八千代町下野間村[現在地名]八千代町下野間中野間村の南、笠形(かさがた)山の南東、野間川の中流域に位置する。南は同川の東岸に加西郡落方(おちかた)村(現西脇市)、西岸に同郡明楽寺(みようらくじ)村(現同上)がある。中世は安田庄野間郷に含まれた。慶長国絵図には「下野間」と東西に「同」とあり、南に「宮屋村」が記載される。宮屋(みやや)村はのちの保木(ほき)にあたる。正保郷帳では田方五〇一石余・畑方七〇石余、山役・鉄砲役・川役があり、幕府領。明和六年(一七六九)尼崎藩領となり(嘉永七年「尼崎藩領郷村高辻帳」尼崎市立図書館蔵、「兵庫県史」)、旧高旧領取調帳でも同藩領。延宝七年(一六七九)の検地帳(下野間区有文書)によれば高五六四石余、小物成は鉄砲役銀八匁・川役銀一匁余・山役銀三六匁・茶役銀九匁・林山山手銀二〇匁・草山山手銀一三匁余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by