下長橋村(読み)しもながはしむら

日本歴史地名大系 「下長橋村」の解説

下長橋村
しもながはしむら

[現在地名]中条町長橋ながはし水沢みずさわ

櫛形くしがた山脈の西裾にあり、西を小荒こあら(現船戸川)が流れる。上長橋かみながはし村と村境が錯雑する。建治三年(一二七七)四月二八日の高井道円(時茂)譲状案(中条町役場所蔵文書)に「なかハし」とみえ、奥山おくやま庄に含まれた。近世ははじめ村上藩領、宝永六年(一七〇九)幕府領。万治二年(一六五九)検地帳(渡辺鉄栄氏蔵)には下長橋村と独立して記され、高一九九石二斗余・田一四町一反六畝余・畑屋敷三町七反一畝余で、屋敷名請人九名。

下長橋村
しもながはしむら

[現在地名]遊佐町小原田おはらだ

上長橋村の西にあり、北は十日町とおかまち村。内郷うちごう街道が通り遊佐町との間に一里塚があった(「正保庄内絵図」本間美術館蔵)。奈良―平安時代の集落跡がある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高八七石余。寛永元年庄内高辻帳では高二一六石余。享和三年(一八〇三)には家数一二・人数六〇(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免五ツ八分七厘、家数一九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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