下阿賀村(読み)しもあがむら

日本歴史地名大系 「下阿賀村」の解説

下阿賀村
しもあがむら

[現在地名]西伯町阿賀あが

清水川しみずがわ村の南西法勝寺ほつしようじ川の左岸手間てま山の西麓に位置する。もとは南接する阿賀村の枝郷で、享和三年(一八〇三)新田として届出され、天保五年(一八三四)に分村した(藩史)。同一三年の田畑地続全図(西伯町誌)によると南東は山林地帯で、西部の川沿いに水田が開け、溜池が設けられている。天保郷帳では高三五八石余、本免は四ツ六分。藪役銀九匁が課されていた(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六四石余、竈数五八。「伯耆志」では家数六〇・人数二四〇、林一三町四反余。元文一揆の際、当村平左衛門は「御上ヲ不恐我儘之仕方」があったとして両国追放の処罰を受けている(因伯民乱太平記)。明治三年(一八七〇)の御用方諸事手控(細田家文書)によると耕地面積三二町三反余・山林面積一三町四反余、家数五三・人数二一二、職人として大工三がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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