日本大百科全書(ニッポニカ) 「因伯民乱太平記」の意味・わかりやすい解説
因伯民乱太平記
いんぱくみんらんたいへいき
1739年(元文4)鳥取藩に起こった全藩惣百姓一揆(そうびゃくしょういっき)の内容を記した騒動記。1巻。因幡(いなば)、伯耆(ほうき)両国(鳥取県)にまたがり32万石の拝領高をもつ鳥取藩で、最大規模の百姓一揆がこの元文(げんぶん)一揆(因伯一揆)である。同年2月、因幡側から約3万人、伯耆側から約2万人の農民が蜂起(ほうき)し、大庄屋(おおじょうや)や手代などに打毀(うちこわし)をかけながら城下に迫り、古海河原で藩役人に願書を提出した。請免(うけめん)制による貢租増徴、各種付加税反対がその内容であった。この一揆の騒動記にはたくさんの異本があり、『因伯農乱記』『因幡民乱新太平記』など十指を数え、標題も内容も差がある。本書の特色は、因幡地方の経過と打毀の模様が詳述されていることである。
[横山十四男]