日本歴史地名大系 「下高尾野村」の解説 下高尾野村しもたかおのむら 鹿児島県:出水郡高尾野町下高尾野村[現在地名]高尾野町下高尾野柴引(しばひき)村の西、高尾野郷の西部に位置する。西は北流する野田(のだ)川およびその支流御手洗(みたらい)川を境に野田郷上名(かんみよう)村・下名(しもみよう)村(現野田町)、南は御手洗川を境に上名村、北は出水郷荘(しよう)村(現出水市)。村の東部はやや高燥で畑地が開ける。西部の野田川沿いに水田が多く、集落もここに散在、「鹿児島県地誌」は字地として下高尾野・本城(ほんじよう)・内野(うちの)(内野々)・野添(のぞえ)をあげる。内野々(うちのの)以南は山間地で耕地に恵まれない。本城には中世の高(たかん)城跡がある。嘉暦四年(一三二九)三月二日、本田親兼(道観、針原二郎入道)は父貞親(静観)から山門(やまと)院内の「針原・野角・横峯以下所々水田畠等」を譲られ(「本田貞親譲状」旧記雑録)、翌四月二五日、これらの地を嫡子久兼(孫二郎、兼阿)に譲り渡しているが(「本田道観譲状」都城島津家文書)、地内の野田川沿いに横峯(よこみね)の字が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by