下黒沢村(読み)しもくろさわむら

日本歴史地名大系 「下黒沢村」の解説

下黒沢村
しもくろさわむら

[現在地名]一関市萩荘はぎしよう

猪岡いのおか村の東、磐井いわい川南岸にあり、北は同川を隔てて山目やまのめ村・赤荻あこおぎ村。村の中央部に上黒沢村が入込み、東方と西方(西黒沢村)とに分れる。西黒沢村はほぼ磐井川久保くぼ川に挟まれた地域を占める。永禄三年(一五六〇)七月一一日の葛西晴信宛行状(宮城猪岡文書)に「黒沢村」とみえ、二千刈が猪岡又太郎に加増分として宛行われている。慶長六年(一六〇一)の留守政景知行目録写(留守文書)では「下くろさハ」とあり、一一七貫七七文が留守政景知行。正保郷帳では田一〇二貫四八一文・畑二八貫四四七文、ほかに新田一一貫八〇八文があり、雑木山と注記される。領主の変遷一関村と同じ。天和元年(一六八一)の田村氏知行目録(肯山公治家記録)では二一三貫二八九文。享保五年(一七二〇)の西岩井住居切支丹類族存命帳(一関市史)では転び切支丹覚内らがいた。


下黒沢村
しもくろざわむら

[現在地名]高根町下黒沢

八ヶ岳の南麓台地の南端部、標高五五〇―六五〇メートル付近に位置。東は蔵原くらばら村、西は塚川つかかわ(現長坂町)、南は若神子わかみこ(現須玉町)。北の上黒沢村とはもと一村で、境などなく田畑ともに入会っていた。上和田かみわだ志合しごう押越おつこし乙坂おとざか前田まえた丸山まるやまの六集落がある(甲斐国志)。慶長六年(一六〇一)の黒沢村検地帳(県立図書館蔵)七冊のうち残る六冊によれば、上田三町七反余・中田七町一反余・下田九町三反余・下々田七町余、上畑三町一反余・中畑六町四反余・下畑七町九反余・下々畑四町余、弾正荒永不作田畑六町四反余・熊蔵荒永不作田畑二九町七反余、屋敷数三八。慶長古高帳でも黒沢村一村で、高六一〇石余、真田隠岐知行、ほかに唐土とうど大明神(八幡神社)領六斗三升。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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