若神子村(読み)わかみこむら

日本歴史地名大系 「若神子村」の解説

若神子村
わかみこむら

[現在地名]須玉町若神子

釜無川の支流須玉川・西にし川の河岸段丘上、標高五〇〇メートル付近に位置。東は須玉川を隔てて大蔵おおくら村、西は下黒沢しもくろざわ(現高根町)、北は穴平あなだいら村。村名は「続日本後紀」承和二年(八三五)一二月一二日条にみえる、尾張国熱田大神の子「孫若御子神」にちなむという(甲斐国志)。甲州道中・棒道・佐久さく往還などの分岐点にあたる交通の要衝で、また北の穴平には二日市場ふつかいちば地名もあり、中世には市も開かれていたと考えられる。二日市場には応永元年(一三九四)の銘がある六角石幢があり、共同墓地の石幢には同一六年三月の銘がある。また当地長泉ちようせん寺の文安三年(一四四六)四月一五日の弥陀三尊名号板碑には「逸見若巫郷道俗等建立也」とある。「高白斎記」によれば天文一一年(一五四二)九月一九日に武田信虎が諏訪に向かって陣を動かし、若神子に陣所をつくっている。同一二年九月に大井貞隆を攻撃した時も一〇日に若神子に着いている。このほか同一九年七月三日、一一月一四日、同二〇年六月一日、七月二五日、同二二年七月二五日の「高白斎記」の記事にみえる。小手指こてさし坂は若神子から箕輪みのわ(現高根町)に至る坂道佐久往還の一部となり、戦国時代には軍事上重要な場所で、武士一〇人を坂上に置き、彼らが住居した場所を拾騎屋敷じつきやしきと称したといい(北巨摩郡誌)、三段の方形平坦地が残る。天文一二年七月二日に武田晴信はこの地の鍛冶に諸役を免許し(「武田晴信印判状」伏見文一家文書)、元亀三年(一五七二)三月一七日にもこれが認められている(「武田信玄印判状写」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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