ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「世界シオニスト機構」の意味・わかりやすい解説
世界シオニスト機構
せかいシオニストきこう
World Zionist Organization
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…ドレフュス事件に衝撃をうけ,同化によってはユダヤ人に対する差別・迫害は克服できないと考えたヘルツルは,《ユダヤ人国家Der Judenstaat》(1896)で,ユダヤ人国家の建設を構想するにいたったが,彼の場合,パレスティナはあくまで選択の一つの可能性でしかなく,むしろ一時期アフリカのウガンダでの国家建設を真剣に検討したことは特徴的である。シオニズム運動は,バーゼルでの第1回シオニスト会議(1897)により世界シオニスト機構を設立して組織的統一を果たし,ヘルツルをその指導者としたが,第1次世界大戦以前はユダヤ教徒のなかでも,少数者の夢想とあざけられ,神に対する冒瀆と非難され,あるいは反ユダヤ主義を刺激するものと批判され,少数者の運動でしかなかった。 それが〈パレスティナでのユダヤ人の民族的郷土national home樹立に賛成する〉というイギリス政府のバルフォア宣言(1917)によって,にわかに国際政治における有力な要素となるにいたったについては,東方問題をめぐる帝国主義列強の角逐との関連を見のがすことはできない。…
…青年時代から〈シオンの友Chovevei Zion〉に属し,また政治的シオニズム運動の創始者ヘルツルの信奉者であったワイツマンは,イギリス政府高官に働きかけ,1917年バルフォア宣言を出させることに成功し,パレスティナでのユダヤ人国家建設の緒をつくった。20‐29年世界シオニスト機構World Zionist Organization議長として,イギリスの庇護のもとにパレスティナのユダヤ人入植をすすめ,その発展をはかろうとした。イギリス政府が彼の要望にこたえず,また運動内部にも批判が高まったため,一時は運動から身を引くが,35年再度議長に選ばれる。…
※「世界シオニスト機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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