ヘルツル(読み)へるつる(英語表記)Theodor (Binyamin Ze'ev) Herzl

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルツル」の意味・わかりやすい解説

ヘルツル
へるつる
Theodor (Binyamin Ze'ev) Herzl
(1860―1904)

オーストリアジャーナリスト、近代政治的シオニズム運動(ユダヤ民族郷土建設運動)の父。世界シオニスト会議の創設者ブダペストに生まれ、ウィーン大学法学を学ぶ。ジャーナリストとして1894年パリでドレフュス事件を取材し、反ユダヤ主義的偏見をつぶさに体験した。2年後小冊子『ユダヤ人の国――ユダヤ人問題の現代的解決法』(1896)を著す。1897年には第1回世界シオニスト会議をバーゼルで開催、「公法で保証された一郷土をパレスチナ創建」することを主唱して、その後のシオニズム運動の方向を決定づけた。

[石川耕一郎 2018年4月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルツル」の意味・わかりやすい解説

ヘルツル
Herzl, Theodor

[生]1860.5.4. ブダペスト
[没]1904.7.3. エルラハ
オーストリアのユダヤ人ジャーナリスト。シオニズム運動の創始者。『新自由新聞』通信員としてパリに滞在中,ドレフュス事件に接し,ユダヤ人排斥が行われていることに強い衝撃を受け,ユダヤ人の団結を志した。 1896年『ユダヤ人国家』 Der Judenstaatを著わして,ユダヤ人問題は,他民族との同化でなく,民族的問題であり,組織的・政治的行動によるユダヤ人国家建設以外にないと主張,シオニズム運動の創始者となった。 97年バーゼルで第1回シオニスト大会を開催し,ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに建設するという目標と,「国際シオニスト連合」の結成を決議。機関紙『世界』 Die Weltを発行。主権国たるトルコ政府と交渉したが具体化せず,98年イギリスおよびエジプト政府とのシナイ半島譲渡の交渉も失敗。 1903年には,イギリスがイギリス領東アフリカ (現ウガンダ) を提供したが,シオニスト内部で意見が分れ運動は難航,そのさなかに没した。

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