ジャーナリスト,シオニズム運動の指導者で,〈シオニズムの父〉と呼ばれる。ブダペストの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ,ウィーンの《ノイエ・フライエ・プレッセNeue Freie Presse》紙のパリ特派員となる。みずからヨーロッパの社会と文化に完全に同化し,ユダヤ人はヨーロッパ社会に吸収され消滅すべきであると考えていたヘルツルは,1894年ドレフュス事件に衝撃を受け,96年に刊行された《ユダヤ人国家Der Judenstaat》で,ユダヤ人問題の解決は同化によってではなく,ユダヤ人が独自の民族として独自の国家を創設することによってのみ解決できると説いた。ヘルツルは,彼に先立って同様にユダヤ人の自力解放あるいは国民国家の建設を主張した論者とはちがって,その国家構想を徹底した世俗性,すなわちユダヤ教の伝統からの断絶に基づいて提起した。彼にとってはヘブライ語は単なる死語であり,パレスティナをユダヤ人の父祖の地とする考え方はセンチメンタリズムでしかなかった。彼はむしろ,ヨーロッパ出身の人びとにとって快適な生存が保証される土地(たとえばキプロス,ウガンダ)をユダヤ人国家の地として求めた。また彼は優れた現実感覚と卓越した組織力によって,ドイツ,イギリスなどヨーロッパ列強の近東に対する野心をその目標実現のために徹底して利用しようとした。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世と面談して,パレスティナにおけるユダヤ人国家がドイツ帝国の近東支配にとっていかに有益であるかを説いたのはその好例である。
1897年彼の奔走により第1回シオニスト会議がバーゼルで開かれ,ここにシオニズム運動の礎石がきずかれた。運動の発展する過程でヘルツルの世俗的な思想はロシア,東ヨーロッパのシオニストたちの批判にさらされ,彼が熱心に推進しようとしたウガンダ計画は拒否されることになる。しかし志半ばにして病に倒れたヘルツルは,〈シオニズムの父〉として,現在のイスラエル国家創設の最大の貢献者としてあがめられている。主著に《ユダヤ人国家》(1896),《日記》3巻(1922-33)がある。
執筆者:下村 由一
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オーストリアのジャーナリスト、近代政治的シオニズム運動(ユダヤ民族郷土建設運動)の父。世界シオニスト会議の創設者。ブダペストに生まれ、ウィーン大学で法学を学ぶ。ジャーナリストとして1894年パリでドレフュス事件を取材し、反ユダヤ主義的偏見をつぶさに体験した。2年後小冊子『ユダヤ人の国――ユダヤ人問題の現代的解決法』(1896)を著す。1897年には第1回世界シオニスト会議をバーゼルで開催、「公法で保証された一郷土をパレスチナに創建」することを主唱して、その後のシオニズム運動の方向を決定づけた。
[石川耕一郎 2018年4月18日]
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1860~1904
シオニズム運動の指導者。ブダペシュト生まれのユダヤ人ジャーナリストで,パリ滞在中ドレフュス事件に衝撃を受け,ユダヤ人国家の建設をめざす。バーゼルで最初のシオニスト会議を開き(1897年),世界シオニスト機構を創設した。
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…山の上にある都市なので,そこへの旅はまさしく〈のぼる〉という表現がふさわしい。尾根の上にあるといっても,標高800m級の丘(スコープスScopus山,オリーブ山,ヘルツルHerzl山など)と深く切り込んだ谷(キドロンKidronの谷,ヒンノムBen Hinnomの谷,ソレクSorekの谷など)とが交錯して,かなりの凹凸がある。旧市街はほぼ標高750m程度の高さにある。…
… 19世紀後半にシオニズム運動が興ったのは,一つには世界各地に興ったナショナリズム運動に影響されたからであるが,一つにはロシアおよび東ヨーロッパでポグロムと呼ばれるユダヤ人排撃運動が激しくなったためでもある。シオニズム運動を政治的に組織化したのはウィーンのジャーナリスト,テオドール・ヘルツルで,彼は1897年,スイスのバーゼルで世界シオニスト機構を結成した。当時パレスティナを含むアラブ東部世界はオスマン・トルコ帝国の支配下にあったが,第1次世界大戦中にイギリスは,ドイツに荷担して敵国となったトルコの勢力をそぐため,一方では1915年にアラブの指導者であったメッカのシャリーフ(太守)フサインにアラブの独立を約束してトルコへの反乱をそそのかし(フサイン=マクマホン書簡),他方17年には戦争への在欧米ユダヤ人の支持を得たいというねらいもあって,パレスティナにユダヤ人の〈民族的郷土〉を樹立することを支持する旨の宣言(バルフォア宣言)を発した。…
…シオンはエルサレムをさす古い呼称で,パレスティナを父祖以来の約束の地とし,同地へのユダヤ人の移住を〈離散からの帰還〉として考える観念は,ユダヤ教の最も重要な信仰内容に属する。その意味では,19世紀後半にシオニズム(ヘルツルの盟友ビルンバウムNathan Birnbaum(1864‐1937)の命名によるとされる)の名のもとに起こったこの運動はユダヤ教の伝統の継承・発展とみることができる。しかし〈離散からの帰還〉はまた,キリスト教におけるキリストの再臨と同じように,本来は,人間の力では実現不可能なものであり,神意にのみすがろうとする敬虔な祈り以上のものではなかった。…
…晩年その富を注いで〈ユダヤ人植民組織Jewish Colonization Organization〉を設立し,ロシア各地にユダヤ人のための職業訓練学校をたて,おもにアルゼンチンに向けてユダヤ人移民を送り出した。シオニズム運動の指導者ヘルツルの〈ユダヤ人国家〉構想には冷淡で援助を拒否し,ヘルツルもまたヒルシュの活動を単なる慈善事業と批判した。【下村 由一】。…
…19世紀後半,帝政ロシア末期の混乱の中で,ユダヤ人を無差別に殺戮(さつりく)するポグロムが広がったため,多数のユダヤ人がアメリカに逃げた。同時に,ユダヤ民族主義シオニズムが勃興し,それをT.ヘルツルが政治運動に組織した。第1次大戦後,ヒトラーのナチス・ドイツは,組織的アンチ・セミティズム政策により,ユダヤ人600万人を殺戮した。…
※「ヘルツル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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