日本歴史地名大系 「中久喜村」の解説
中久喜村
なかぐきむら
- 栃木県:小山市
- 中久喜村
享徳四年(一四五五)二月日の筑波潤朝軍忠状写(古証文)に下野「中岫」とみえ、結城合戦の際の永享一二年(一四四〇)四月一八日、結城氏の支援を受けた足利安王丸・春王丸などは当地に出陣している。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に下郷分として「中くき」とあり、伊勢役銭三貫九九五文を負担している。同二三年一二月二四日の足利義氏充行状(野田家文書)には小山領一一郷として「中久木」とみえ、野田左衛門大夫に宛行われている。天正三年(一五七五)小山秀綱が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報