(荒川善夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…小田原城はこの年7月5日には開城したが,それまでに皆川広照は徳川家康の内応工作に乗り,手兵100余名を率いて出城していた。このほかで看過できないのは,下野国きっての名族小山秀綱(小山城主)と那須資晴(烏山城主)の動向であった。まず秀綱は小田原開城2日後に所領没収で故国を去り,資晴は那須衆から孤立して,那須家発祥の地佐良土への退隠を余儀なくされていた。…
※「小山秀綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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