中原月雄(読み)なかはらの つきお

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原月雄」の解説

中原月雄 なかはらの-つきお

838?-896? 平安時代前期の官吏,学者
承和(じょうわ)5年?生まれ。父は伊伎是雄(いきの-これお)か。氏姓ははじめ占部連(うらべのむらじ),元慶(がんぎょう)のころ中原朝臣をさずけられる。讃岐掾(さぬきのじょう),存問渤海(ぞんもんぼっかい)客使,助教,大学博士,越前介(えちぜんのすけ)などを歴任仁和(にんな)4年阿衡(あこう)の紛議のとき勘文を提出している。寛平(かんぴょう)8年6月14日?死去。59歳?

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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