ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォルモスス」の意味・わかりやすい解説
フォルモスス
Formosus
[没]896.4.4. ローマ
ローマ出身とされる第111代教皇(在位 891~896)。登位前はポルトの司教枢機卿(→カーディナル)として,ブルガリアでの布教に努めた。891年10月,教皇ステファヌス5世(6世。在位 885~891)の後継者に選出された。西ローマの共同皇帝,グィード2世とランベルト父子と対立し,東フランク王アルヌルフ(在位 887~899)に助力を求めた。896年,西ローマ皇帝としてアルヌルフに戴冠したが,まもなくフォルモススは死去した。死後,政敵による報復として,「死体会議」と呼ばれる教会会議が開かれた。教皇ステファヌス6世(7世。在位 896~897)のもと,フォルモススの遺体を教皇座に置き,形式上の裁判が行なわれた。フォルモススの教皇選挙は無効とされ,遺体はテベレ川へ流された。のちに教皇テオドルス2世(在位 897.12.)とヨハネス9世(在位 898~900)により死体会議は否定され,フォルモススの教皇位は認められた。
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