朝日日本歴史人物事典 「伊伎是雄」の解説
伊伎是雄
生年:弘仁10(819)
平安前期の卜部。壱岐島石田郡(長崎県)の出身で本姓は卜部。嘉祥3(850)年,東宮宮主に任じられ,皇太子(清和天皇)即位ののち,宮主に転じた。貞観5(863)年正月に外従五位下に叙せられ,同年9月には伊伎宿禰の氏姓を賜った。同11年には従五位下に叙せられ,従前の宮主に兼ねて丹波権掾に任じられた。同14年,現職のまま没した。四国の卜部のひとつであり,代々亀卜を行う壱岐の卜部の伝統を受け継ぎ,卜定(吉凶をうらない定める)の道をもっともよく究め,独歩と称せられた。<参考文献>村山修一『日本陰陽道史総説』
(脊古真哉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報