中原蕉斎(読み)なかはら しょうさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原蕉斎」の解説

中原蕉斎 なかはら-しょうさい

1753-1838 江戸時代中期-後期儒者
宝暦3年4月17日生まれ。西山拙斎(せっさい)に師事。雪堂学舎をひらき,のち領主の丹波亀山藩(京都府)藩主にみとめられ,総礼格,櫓(やぐら)方格。小野泉蔵とともに「拙斎遺稿」をあんだとされる。天保(てんぽう)9年10月10日死去。86歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。本姓藤井。名は貞固。字(あざな)は子幹。

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367日誕生日大事典 「中原蕉斎」の解説

中原蕉斎 (なかはらしょうさい)

生年月日:1753年4月17日
江戸時代後期の儒者
1838年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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