改訂新版 世界大百科事典 「中原高句麗碑」の意味・わかりやすい解説
中原高句麗碑 (ちゅうげんこうくりひ)
韓国,忠清北道中原郡可金面竜田里の立石部落で1979年に発見された,三国時代高句麗の石碑。碑石は花コウ岩を使った四角石柱形を呈し,大きさはおよそ高さ135cm,幅56cm,厚さ37cm。前面には,第1行目の〈五月中高麗大王祖王令還新羅寐錦世世為願如兄如弟〉の23字に始まり10行,ついで左側面には同じく23字で7行まで銘文が残っているが,計391字分のうち,約244字が判読された。また,右側面でも7字分が判読されており,未判読の後面とともに,四面碑であった可能性が強い。前記のほか〈上下相和守天〉〈賜寐錦之衣服〉〈新羅土内幢主〉などの貴重な語句が読まれ,これらによれば,高句麗王は新羅王と兄弟関係を保ち,高句麗の衣服を下賜しながらも,新羅領内に軍事的圧力を加えていたことがわかる。碑は,広開土王に続く長寿王以来の高句麗の南進の過程で,新羅に対して政治的・軍事的に優勢であった高句麗が,中原地方一帯を名実ともに領域支配したことを記念して建てたものと考えられる。その建立年代については,左側面にみえる〈辛酉年〉を481年とする説が有力であるが,421年説もある。碑文の文字は,字径が3~5cmの隷書体による漢文であるが,一部で吏読(りとう)文字もみられ,広開土王碑につぐ貴重な高句麗の金石文である。
執筆者:西谷 正+浜田 耕策
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