日本歴史地名大系 「中堂寺村」の解説
中堂寺村
ちゆうどうじむら
東は下京の町地、西は
村名について「京都府地誌」は「中古、街頭ニ中堂寺(中略)ノ仏刹アリ。故ニ後世村名トス」と記す。
応仁の乱以前の様子を記すといわれる中昔京師地図には、大宮大路の西に「中道寺村」が描かれており、ルイス・フロイスの一五七三年五月二七日付書簡中には、織田信長に焼かれた京都の村のうちに
「拾芥抄」西京図には、右京六条一坊四保九町に「故為章領」「等持院領」、同一六町に「等持院領」の表示がある。為章とは高階為章のことと思われる。貴族の邸宅としては「五条坊城」の藤原家成亭(「本朝世紀」仁平三年三月二八日条)などがあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報