コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

中山久蔵 なかやま きゅうぞう

2件 の用語解説(中山久蔵の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中山久蔵 なかやま-きゅうぞう

1828-1919 明治時代の農業指導者。
文政11年3月21日生まれ。北海道に入植し,明治6年札幌近郊の島松で水稲の試作に成功する。毎年種もみを無料提供し,道内の稲作の普及,定着につくした。大正8年2月13日死去。92歳。河内(かわち)(大阪府)出身。本姓は松村。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中山久蔵

没年:大正8.2.13(1919)
生年:文政11.3.21(1828.5.4)
明治初期に北海道で米作りを成功させた先駆者。河内国(大阪府)石川郡の生まれとされている。旧姓松村,のち「山の中の人」の意で中山と改姓した。仙台藩に仕え,安政1(1854)年ごろ同藩の片倉英馬に従い白老(北海道)に渡った。明治初年北海道に永住を決意し,苫小牧,のち札幌郊外の島松に住んだ。政府は北海道でのイネ栽培を不可能とみなし畑作を強制したが,開拓民たちは米食にあこがれた。久蔵は風呂の残り湯を深夜に苗代まで運んで水温を高めるなど努力を重ねた末,明治6(1873)年イネの試作に成功した。以来,米作りはまず石狩平野に根付き,さらに寒冷な地方へと広まっていった。民間人の創意と工夫が官庁の方針を転換させた典型的な一例である。<参考文献>『北海道の夜明け』(北海道総務部編『開拓につくした人びと』2巻),柳卯平『北の稲』

(筑波常治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の中山久蔵の言及

【恵庭[市]】より

…近年札幌のベッドタウン化が進み中心市街地の発展は著しい。その北方の島松は道央の稲作発祥地で,1880年ごろ篤農家中山久蔵が耐冷性品種赤毛の試作に成功し種もみを普及して北海道稲作の基礎をつくった。国道36号線沿いに企業が進出し,食品・機械の諸工場が立地し,恵庭,戸磯恵南,島松に工業団地が設けられたほか,戸磯には地場産業のための軽工業団地がある。…

※「中山久蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

中山久蔵の関連キーワードチモシー議官紀州ネルさびたライ麦北海道開発の行政組織新井有貫男狭磯藤原長作松本喜作

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

中山久蔵の関連情報