朝日日本歴史人物事典 「中山久蔵」の解説
中山久蔵
生年:文政11.3.21(1828.5.4)
明治初期に北海道で米作りを成功させた先駆者。河内国(大阪府)石川郡の生まれとされている。旧姓松村,のち「山の中の人」の意で中山と改姓した。仙台藩に仕え,安政1(1854)年ごろ同藩の片倉英馬に従い白老(北海道)に渡った。明治初年北海道に永住を決意し,苫小牧,のち札幌郊外の島松に住んだ。政府は北海道でのイネ栽培を不可能とみなし畑作を強制したが,開拓民たちは米食にあこがれた。久蔵は風呂の残り湯を深夜に苗代まで運んで水温を高めるなど努力を重ねた末,明治6(1873)年イネの試作に成功した。以来,米作りはまず石狩平野に根付き,さらに寒冷な地方へと広まっていった。民間人の創意と工夫が官庁の方針を転換させた典型的な一例である。<参考文献>『北海道の夜明け』(北海道総務部編『開拓につくした人びと』2巻),柳卯平『北の稲』
(筑波常治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報