中山巍(読み)ナカヤマ タカシ

20世紀日本人名事典 「中山巍」の解説

中山 巍
ナカヤマ タカシ

昭和期の洋画家



生年
明治26(1893)年8月24日

没年
昭和53(1978)年5月19日

出生地
岡山県岡山市

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科〔大正9年〕卒,東京美術学校研究科〔大正11年〕修了

主な受賞名〔年〕
日本美術院賞〔昭和27年〕「マチス礼讃」

経歴
黒田清輝、のち藤島武二師事。大正8年第1回帝展に「樵夫」を出品。11年フランス留学、ヴラマンク・シャガールに会い強く影響を受ける。昭和3年パリで個展を開いて好評を得、同年帰国。二科展に特別陳列して二科賞を受賞。1930年協会にも参加。5年独立美術協会を創立、翌6年独立美術研究所を開き指導にあたるなど同協会の中心として活躍。戦後は21年女子美術大学教授となり、傍ら独立美術協会の再建にあたった。26年美術団体連合展出品の「マチス礼讃」で、27年日本芸術院賞。33年脳出血で左半身不随となるが制作を続け、独立展、日本国際美術展、現代日本美術展に出品した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山巍」の解説

中山巍 なかやま-たかし

1893-1978 昭和時代の洋画家。
明治26年8月24日生まれ。黒田清輝,藤島武二にまなぶ。フランスに留学し,ブラマンクなどの影響をうける。昭和5年児島善三郎らと独立美術協会を創立。戦後女子美大教授をつとめた。27年「マチス礼讃」で芸術院賞。昭和53年5月19日死去。84歳。岡山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中山巍」の解説

中山 巍 (なかやま たかし)

生年月日:1893年8月24日
昭和時代の洋画家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中山巍の言及

【明治・大正時代美術】より

…里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。しかし一九三〇年協会は第5回展をもって終わり,その継続ともいえる独立美術協会が結成されて,31年第1回展が開かれる。…

※「中山巍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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