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美術団体。1930年11月,二科会に属する里見勝蔵,児島善三郎,林重義,清水登之,林武,伊藤廉,川口軌外,小島善太郎,中山巍,鈴木亜夫,鈴木保徳に,国画会の高畠達四郎,春陽会の三岸好太郎,滞欧中の福沢一郎が加わって結成し,翌31年1月,東京府美術館で第1回展を開いた。結成に際して〈新時代の美術を確立せん事を期す〉と宣言し,一九三〇年協会のフォービスム志向を継承した。二科会のモダニズムの形骸化への反発と考えられる。しかし間もなく三岸や福沢らが超現実主義に転じたことが内紛を誘い,37年に里見,曾宮一念らの退会,39年に福沢を中心とする美術文化協会の設立をみた。その後はいわゆる日本的フォーブの集団としてまとまり,須田国太郎,小林和作,海老原喜之助,鳥海青児,野口弥太郎らを加え,在野の有力団体になった。毎年秋,公募展を開催して今日に及んでいる。
執筆者:原田 実
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洋画団体。二科会の里見勝蔵(かつぞう)、児島善三郎、小島(こじま)善太郎、林重義(しげよし)、林武(たけし)ら11名に春陽会の三岸好太郎(みぎしこうたろう)、国画会の高畠(たかばたけ)達四郎を加えた13名が1930年(昭和5)11月結成。既成団体より独立し新時代の美術を確立することを期し、翌年1月新帰朝の福沢一郎を会員に加え第1回展を開催。以後45年を除き毎年展覧会を開き、現在は10月に公募展を行う。その間、37年の里見らの脱退や39年の福沢の除名など会員に変動もあったが、野口弥太郎(やたろう)、須田国太郎、小林和作(わさく)、海老原喜之助(えびはらきのすけ)らが加わり、有力な在野団体に成長した。創立当初はフォービスムやシュルレアリスムなど強烈な個性の競合があり、昭和初期の画壇に革新的役割を果たしたが、しだいに日本的感覚を加味し、第二次世界大戦後は洗練された具象的作風を熟させていった。しかし近年では、創立会員の死去に伴う世代交代により、抽象化傾向が顕著となってきている。
[佐伯英里子]
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…日本では,すでに1910年代に万鉄五郎がフォービスム的な作風を示し,12年のフュウザン会第1回展にはこの傾向の作品が出品された。30年結成された独立美術協会の創立会員には多かれ少なかれフォービスムの影響が見られ,フランスでブラマンクに師事し25年帰国した里見勝蔵(1895‐1981)がその最も顕著な例である。【中山 公男】。…
…26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。しかし一九三〇年協会は第5回展をもって終わり,その継続ともいえる独立美術協会が結成されて,31年第1回展が開かれる。これらの人々はさまざまな個性的な画風を示したが,一般にはフォービスムの団体という印象を与えた。…
※「独立美術協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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