ブラマンク(読み)ぶらまんく(英語表記)Maurice de Vlaminck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラマンク」の意味・わかりやすい解説

ブラマンク
ぶらまんく
Maurice de Vlaminck
(1879―1958)

フランスの画家フラマン人のバイオリン奏者を父に、フランス人のピアノ奏者を母として、パリの貧しい家庭に生まれる。パリ近郊ル・ベジネの祖母の家で成長。音楽の訓練を受け、数年間音楽を教えたり、オーケストラで演奏したりして生活費を稼ぐ。また、1893年から96年まで競輪の選手としてかなりの収入を得た。その間、ル・ベジネの馬具作りや、あるアカデミックな画家からデッサンの手ほどきを受ける。97年から1900年まで兵役に服したが、そのときの経験から、除隊後はパリのアナキストのグループに加わったりもした。1900年アンドレ・ドランと出会い、2人はパリ近郊のセーヌ河畔のシャトゥーに共同のアトリエを設けて制作に励み、やがてシャトゥー派としてフォーブのグループの一翼を担うことになる。翌01年、ベルネーム‐ジュヌ画廊でのゴッホ展に感銘を受け、以後、後期印象派の影響のもと、しだいに強烈な色彩と激しい筆使いによる表現主義的な絵画を描くようになる。とはいえ、彼がゴッホの作風を十分に消化し、真の個性的スタイルを確立するのは、05年のアンデパンダン展でのゴッホ回顧展以後のことである。同じ05年、フォービスム誕生を告げるサロン・ドートンヌ出品、フォーブの一員となる。しかしその強烈な色彩は、07年のセザンヌの作品との出会いを機に輝きを失い、構成的な方向に向かい、さらに10年には、短期間ながらキュビスムにも足を踏み入れた。その後まもなく自ら気質により適合したスタイルを確立。黒、藍(あい)、白を基調にした暗く重苦しい色彩によって劇的で激しい風景や静物を描き、その作風は生涯かわることがなかった。

[大森達次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラマンク」の意味・わかりやすい解説

ブラマンク
Vlaminck, Maurice de

[生]1876.4.4. パリ
[没]1958.10.11. リュイユラガデリエール
フランスの画家。父はフランドル人で,「ブラマンク」はフランドル人の意味。競輪選手や音楽家,俳優などの職を遍歴したのち,1900年に画家ドランと会って絵を志し,パリ郊外シャトーのアトリエで同居しながら制作。ゴッホ展を見て感銘し,またドランの紹介でマチスを知り,マチス,ドラン,マルケらとともにサロン・ドートンヌに出品,フォービスムの一人と目された。 08年からセザンヌの影響が顕著となり,鮮かな色彩を捨て暗い色調によって人けのない寂しい町角や風景を描き,独自の画風を確立。主要作品『自画像』『コートの雪景』『セーヌ川』。

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