中島 今朝吾
ナカジマ ケサゴ
大正・昭和期の陸軍中将 第16師団長。
- 生年
- 明治15(1882)年6月15日
- 没年
- 昭和20(1945)年10月28日
- 出生地
- 大分県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第15期)〔明治36年〕卒,陸大〔大正2年〕卒
- 経歴
- 砲科出身で、大正9年ベルサイユ平和条約実施委員としてドイツに駐在。その後野砲第7連隊長、習志野学校長、憲兵司令官を歴任した。昭和12年宇垣一成の組閣に際し、陸軍の強硬意見を代表し、宇垣に辞退を勧告した。同年第16師団長となり、南京攻略戦に参加、南京虐殺に関わった。13年大本営や政府首脳あてに停戦・和平要請の建白書を提出、同年第4軍司令官(旧満州)になるが、翌14年予備役となる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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中島今朝吾 なかじま-けさご
1882-1945 明治-昭和時代前期の軍人。
明治15年6月15日生まれ。大正9年ベルサイユ条約実施委員としてドイツに駐在。野砲第七連隊長,憲兵司令官などを歴任。日中戦争では第十六師団長として昭和12年の南京攻略戦に参加。翌年第四軍司令官に転じた。陸軍中将。昭和20年10月28日死去。64歳。大分県出身。陸軍大学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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中島 今朝吾 (なかじま けさご)
生年月日:1882年6月15日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。旧陸軍第16師団師団長
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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