日本歴史地名大系 「中川崎村」の解説 中川崎村なかかわさきむら 埼玉県:幸手市中川崎村[現在地名]幸手市中川崎・香日向(かひなた)一―四丁目千塚(ちづか)村の南西、古利根川左岸の沖積地に位置する。同川の自然堤防の微高地と自然堤防に囲まれる後背低湿地からなる。葛飾郡幸手領に属した(風土記稿)。田園簿では上川崎村(現鷲宮町)・中川崎村・下川崎村を合せて三川崎(さんかわさき)村とあり、田六四六石余・畑五六七石余で幕府領。元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として検地が行われた(「風土記稿」など)。 中川崎村なかかわさきむら 埼玉県:羽生市中川崎村[現在地名]羽生市下川崎(しもかわさき)会(あい)の川左岸の自然堤防上に位置し、西は上川崎村、東は下川崎村。元禄(一六八八―一七〇四)以降下川崎村より分れたといわれ(風土記稿)、宝暦一三年(一七六三)の村明細帳(今成家文書)によれば高三一九石余・反別三八町余、家数四六・人数二一二。新郷川俣(しんごうかわまた)関所への人足の割当てが古くからあり、舟渡しをしてきたが、のちには夏秋の穀物による代納に切替えられ負担していた(羽生市史)。 中川崎村なかかわさきむら 茨城県:水海道市中川崎村[現在地名]水海道市川崎(かわさき)町小貝(こかい)川西岸に所在。北は上川崎村、南は下川崎村。江戸初期に開発された新田村で、明暦元年(一六五五)に川崎村から独立した(→上川崎村)。元禄一五年(一七〇二)の下総国豊田郡中川崎村田畑検地水帳(水海道市役所所蔵文書)に、幕府の検地役人比企長左衛門らの名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by