上川崎村(読み)かみかわさきむら

日本歴史地名大系 「上川崎村」の解説

上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]足利市川崎町かわさきちよう

渡良瀬川北岸低台地に位置し、西北は鵤木いかるぎ村。暦応元年(一三三八)六月一八日の小野寺通氏譲状(小野寺文書)では足利庄内「河崎三ケ村」、宝徳二年(一四五〇)五月三日の小野寺朝通言上状(同文書)では同庄「河崎郷田嶋村之内徳応寺分」とみえ、郷内三ヵ村(二ヵ村の村名不明)は小野寺氏の所領で、現在の川崎町一帯に比定される。同郷は通氏から顕通・連通・通業と相伝されたが(応永二七年一一月二〇日「小野寺通業譲状」同文書など)、朝通の代に至って前掲の徳応寺分のみが譜代本領となっている。徳応寺は源実朝が暗殺された時、小野寺秀通がその菩提を弔うために建立。一時衰退したが、明応二年(一四九三)朝通の次男藤寿丸が京都聖護しようご(現左京区)の門弟となって同寺を徳応山藤光寺貞滝坊と改め、中興開山となった(「小野寺系図」小野寺あさ子蔵)


上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]安達町上川崎

小沢おざわ村の南、油井ゆい村の東に位置し、阿武隈川を境にして南は大平おおだいら(現二本松市)、東は下太田しもおおた(現東和町)。天正一四年(一五八六)八月二四日の二ほん松もとみや衆(伊達家文書)に「上川さき 一ひがし在家三貫 一さく内一貫文 はつとり弥二郎」とみえ、「ひがし」「さく内」は当地の字ひがし寂内じやくうちに比定される。また同年九月七日の二本松配分日記(同文書)にも同様の記載があるほか、「大槻甚ゑもん」に「中のさく」(字永作か)二貫五〇〇文が宛行われている。「積達館基考」「相生集」などに「館主安西太郎右衛門真行」とみえる赤坂あかさか館跡が字赤坂にある。


上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]福野町上川崎

小矢部おやべ川と山田やまだ川の合流点両岸に位置し、北は下川崎しもがわさき(現小矢部市)、南は晩田相木ばんであいのき村。天保郷帳に「古者 上河崎村・下河崎村弐ケ村」と注記される。元和五年(一六一九)の家高新帳では役家数一〇。正保郷帳には上河崎村とみえ、高五〇九石余、田方三二町四反余・畑方一町五反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三八九石、免五ツ、小物成は山役二〇匁、鮎川役七匁(うち一匁は出来)、同五年・同九年に検地引高一四七石があった(三箇国高物成帳)。延宝元年(一六七三)・天和二年(一六八二)の検地引高計一〇八石などにより天保一〇年(一八三九)の高四六八石余(「高物成帳」菊池家文書)


上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]鷲宮町上川崎かみがわさき桜田さくらだv

外野そとの村の南東に位置する。当地から正和五年(一三一六)、元亨四年(一三二四)銘など多くの板碑が発見されている。当村渡辺氏の祖は幸手さつての領主一色直朝で、天正一八年(一五九〇)徳川家康関東入国のときすでに隠居し、その子義直に家督を譲っていたが、義直は旧領のうち幸手領七千余石を安堵され、旗本一色家の祖となった(寛政重修諸家譜)。一方、当地に土着した直朝は慶長二年(一五九七)に死去したが、その次子政義からは渡辺氏を称して名主を世襲、旗本久津見氏より苗字帯刀御免の身分を与えられていた(「風土記稿」など)。中川崎村・下川崎村(現幸手市)とはもと一村で田園簿には三川崎さんかわさき村として田高六四六石余・畑高五六七石余とあり、幕府領


上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]羽生市上川崎

旧利根川氾濫原の自然堤防上の村で、あいの川と南方なんぽう用水路に挟まれて北西から南東に向けて長く延びる。西は自然堤防に沿って砂山すなやま村、北はうまほり川を挟んで須影すかげ村。古くは下川崎村と一村であったと考えられる。現加須かぞ定泰じようたい寺の懸仏の文安六年(一四四九)二月二八日付銘文に「河崎郷」がみえる。田園簿・元禄郷帳・天保郷帳ともに川崎村一村で高付され、田園簿によると幕府領、田高三一五石余・畑高七一二石余、ほかに野銭永八一文。国立史料館本元禄郷帳では甲斐甲府藩領と天神八幡社領。


上川崎村
かみかわさきむら

[現在地名]水海道市川崎かわさき

小貝こかい川西岸に所在。西を八間堀はちけんぼり川が流れ、南の中川崎村・下川崎村とともに江戸初期に関東郡代伊奈氏によって開発された新田村で、明治初期の復旧合併村願(石川家文書)によると承応元年(一六五二)に川崎村が成立し、明暦元年(一六五五)の検地で上川崎村として独立。元禄一五年(一七〇二)の下総国豊田郡上川崎村田畑検地帳(水海道市役所所蔵文書)によれば反別四〇町余、分米三五五石余。柳原・葭谷原・御用萱野九町余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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