中新田宿
なかにいだしゆく
仙台藩領中心部西側の交通の要衝。南北の岩出山(現玉造郡岩出山町)と一関(現色麻町)を結ぶ道から田代西越出羽道・軽井沢越出羽道が分岐し、東方への道は古川(現古川市)で奥州街道に結ばれる。当地は代官所・大肝入の所在地で、加美郡の郡政・商業の中心地であった。宿場は南から五町四方の南町、三町三〇間の西町、東へ折れて二町二四間の岡町三町で構成され、それぞれに肝入が立てられている。この三町は寛永一七年(一六四〇)以来の宿場という。小野田(現小野田町)へ二里、本荷四七文・軽尻三一文・賃夫二四文、小泉(現宮崎町)へ一里二四町、本荷四四文・軽尻二九文・賃夫二二文、黒川郡吉岡(現大和町)へ三里三二町二五間、本荷九九文・軽尻六五文・賃夫五〇文、志田郡三本木(現三本木町)へ二里二七町三九間、同郡古川へ二里三〇町三〇間、本荷七一文・軽尻四七文・賃夫三六文、栗原郡宮沢町(現古川市)へ三里二〇町、本荷七五文・軽尻四五文・賃夫三八文、岩出山へ本荷六六文・軽尻四三文・賃夫三三文の七本の道が四方へ通じていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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