中朝友好協力相互援助条約(読み)ちゅうちょうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく

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中朝友好協力相互援助条約

1961年7月11日、中国の周恩来しゅう・おんらい首相北朝鮮金日成キム・イルソン首相(後の主席)が北京で調印した2国間条約。第2条で「どちらか一方武力攻撃を受け、戦争状態に陥ったときは他方の締約国は直ちに全力を挙げて軍事上その他の援助を与える」と定めており、事実上の軍事同盟条約と目されている。61年5月に韓国で朴正熙パク・チョンヒ少将によるクーデター軍事政権が発足したことに北朝鮮が危機感を強めたことが締結背景にある。北朝鮮は同年7月6日にソ連とも同様の条約を結んだが、96年に失効した。(北京共同)

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中朝友好協力相互援助条約
ちゅうちょうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく

1961年7月11日,中国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間に結ばれた同盟条約。同年 5月大韓民国(韓国)に軍事政権が成立(→五・一六軍事革命)したことにより北朝鮮は警戒を強め,キム・イルソン(金日成)首相が 6月ソビエト連邦を訪れ,ソ連=北朝鮮友好協力相互援助条約を結んだ(1961.7.6.調印)のち,7月北京を訪問して調印した。これには「締結国の一方が他の国家または国家連合から武力侵略を受け,戦争状態となったときは,締結国の他方は遅滞なく軍事的およびその他あらゆる援助を提供する」と規定されており,実質的には軍事条約である。しかし 1978年に経済開放政策(→改革と開放)を採用して以来,中国の朝鮮半島に対する姿勢には徐々に変化が現れ始めた。中国は経済開放政策を推進するうえで韓国の存在を無視することはできず,韓国との関係改善をはかったのである。その結果 1986年のソウル・アジア競技大会,1988年のソウル・オリンピック競技大会への中国の参加に続き 1992年には韓中国交正常化がなされた。こうした韓中関係の進展は中朝友好協力相互援助条約に大きな変質をもたらした。

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