五・一六軍事革命(読み)ご・いちろくぐんじかくめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五・一六軍事革命」の意味・わかりやすい解説

五・一六軍事革命
ご・いちろくぐんじかくめい

1961年5月 16日の大韓民国 (韓国) におけるクーデターとその後の政治改革。前年4月の学生革命後の韓国における改革の不徹底,与党民主党の分裂,政治の腐敗,軍の乱脈などに反発した若手軍人が企画。同日未明,パク・チョンヒ (朴正煕)少将指導者とする約 250人の士官を中核に,3500人の陸海空軍および海兵隊所属の将兵によって決行された。革命軍はクーデターとともに革命委員会を組織して立法,司法,行政の三権を掌握し,(1) 反共体制の強化,(2) 国連憲章,国際協約の遵守と自由陣営との紐帯強化,(3) 不正腐敗の一掃,(4) 自主経済建設,(5) 国土統一のために共産主義者と対決できる実力培養,(6) 以上の目的が遂行されたのちは軍に復帰する,の6項目の革命公約を発表。これに続いて非常戒厳令が発令された。クーデターの成否は流動的であったが,18日張勉内閣は総辞職し,ユン・ボソン (尹 潽善) 大統領は正式に戒厳令を宣布,クーデターは合法化された。 19日午後,軍事革命委員会は「国家再建最高会議」と改称,20日張都暎陸軍参謀総長を首班とする軍人閣僚名簿を発表した。5月 23日には,すべての政党,社会団体の解散が命令され,新聞,通信に対する厳しい言論統制がしかれた。 25日には農漁村高利債整理令,28日には不正蓄財処理要綱が発表され,翌月総額 25億ドルに及ぶ意欲的な5ヵ年計画が発表された。また改革は軍部にも及び,高級将校 2000人,将官級 55人が解任もしくは投獄され,士官学校卒業生が軍部の主要ポストを占めるにいたった。また7月に入って,軍事革命の実質的な指導者であった朴正煕議長に就任した。こうして,軍事革命はその第1期を完了した。

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