北朝鮮の政治家。4月15日、平安南道(へいあんなんどう/ピョンアンナムド)大同郡古平面南里(現、平壌(ピョンヤン)市万景台)で金亨稷(こうしゃく)(1894―1926)・康盤石(1892―1932)夫妻の長男として生まれる。本名は金聖柱。中国東北(満州)へ移住した父母の後を追って1925年入満。華成義塾、吉林毓文(きつりんいくぶん)中学校などに学ぶ。吉林で共産主義運動に参加し、1930年ころ金一星(キムイルソン)を名のる。1931年満州事変が起こるや抗日武装闘争に参加し、各地を転戦。1940年以降、旧ソ連領内のハバロフスク周辺に待避し、ソ連軍特殊工作部隊の青年幹部として訓練された。
1945年解放後、ソ連軍大尉として帰国。玄俊爀(げんしゅんかく)暗殺、朝鮮共産党北朝鮮分局創設の功を買われて、同年10月14日ソ連軍によって「金日成将軍」としてデビューさせられた。
以後、1946年北朝鮮臨時人民委員会委員長、1948年北朝鮮首相、1949年朝鮮労働党委員長となり、北朝鮮の党と国家を掌握。1950年6月朝鮮戦争開始とともに人民軍最高司令官として、「祖国解放戦争」を指導、これがアメリカ・国連軍の介入によって失敗したのち、中国人民志願軍の参戦によって1953年収拾にこぎつけた。1953年以降、朴憲永(ぼくけんえい/パクホンヨン)ら南朝鮮労働党派、金枓奉(きんとほう/キムトボン)、崔昌益(さいしょうえき/チェチャンイク)(1896―1957)ら延安派、許哥誼、朴昌玉らモスクワ派などの反金日成派を徹底的に粛清して、自主路線を創設した。
1960年代には、中ソ対立の間にたって、ときに親中・親ソの態度をとりつつ、しだいに対中ソ等距離の自主独立路線を確立。これを独創的なチュチェ(主体)思想として、1967年以降、朝鮮労働党・北朝鮮の「唯一思想」と宣言した。
1972年、新たに「社会主義憲法」を制定して、国家主席、党総秘書、人民軍最高司令官として、権力を一身に独占。1973年から、長男の金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)を後継者化する体制を構築し始めた。これは、現代社会主義国家でもきわめて珍しい逆行現象として、世界の耳目を集めた。1980年代に入るや中国・ソ連との関係をそれぞれ改善、北朝鮮国内では「革命の首領」として権威づけられ、彼に対する個人崇拝政策は極限に達した。
[玉城 素]
『玉城素著『金日成の思想と行動』(1968・コリア評論社)』▽『白峰著『金日成伝』全3巻(1969~1970・雄山閣出版)』▽『李命英著『四人の金日成』(1976・成甲書房)』
朝鮮の政治家。抗日パルチザン闘争の中から生まれた朝鮮民主主義人民共和国創建以来の最高指導者。本名は金成柱。日成は1930年ころからの組織名で,当初は一星(同音)とも書いたという。当時の日本軍や警察関係者,現在の韓国体制側に〈金日成〉襲名説をなすむきがあるが,客観的根拠がない。平安南道大同郡(現,平壌市万景台区域)に生まれ,1925年民族運動家であった父金享稷(1926没)にともなわれて西間島に移住,撫松第一小学校,華甸県華成義塾をへて,27年吉林毓文中学入学後共産青年同盟の活動家となり,29年には国民党軍閥政権による逮捕投獄も体験した。30年の〈間島五・三〇蜂起〉以後の大衆的反日抗争の高揚,そして満州事変の勃発という緊迫した状況の中で31年10月入党(当時としては中国共産党),32年春安図県での抗日遊撃隊組織に参加した。以後抗日パルチザン部隊(東北人民革命軍)の一政治委員として活動していたが,34-35年の反民生団闘争・路線転換の主導権をとり,35年以後長白県に根拠地をおいて朝鮮内との連係を重視した段階では,全体の指導者であったとみられる。その思想は〈民族共産主義〉と称されるような特質をもち,このころから〈白頭山の虎〉〈金日成将軍〉の名は国内にも広く知られるようになった。40年以後小部隊を残してソ連領に移動,日本帝国主義の敗亡を待ち,解放後ソ連軍とともに北朝鮮に帰り,45年10月から指導者として大衆の前に姿を現した。46年2月北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任して同3月〈20ヵ条政綱〉を公表,47年2月北朝鮮人民委員会委員長,48年9月朝鮮民主主義人民共和国創建とともに首相(72年以後は共和国主席)。53年朴憲永派との,56年崔昌益派との党内闘争を乗りきり,以後長期間,朝鮮労働党と政府の主導権を一身に集中し,周辺に常に敬語を使って表記するような雰囲気も生じている。60年代中ソ論争以後は自力更生の旗印を鮮明にし,70年代にはチュチェ(主体)思想を唱道している。80年の労働党6回大会では,彼の前妻の子である金正日(1942- )が公式に党中央委政治局筆頭常務委員に選任され,91年人民軍最高司令官,93年国防委員会委員長に就任,〈代をついだ革命〉の方向といわれている。金日成没後3年をへて97年10月,朝鮮労働党総書記に就任した。
執筆者:梶村 秀樹
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1912~94
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の民族的指導者,首相(在任1948~72),国家主席(在任1972~94)。平壌(ピョンヤン)郊外の万景台で誕生し,幼い頃に満洲に移住した。1930年代後半に南満洲で遊撃隊の指揮官として活躍したが,41年にソ連領に逃亡。帰国後,ソ連占領下で活躍し,48年9月の朝鮮民主主義人民共和国の樹立とともに内閣首相に就任した。50年には,朝鮮の武力統一(朝鮮戦争)を企図して失敗した。その後,「主体(チュチェ)思想」を土台に独自の一元的な政治体制を構築して,重工業優先の経済体制のもとで軍事力を増強し,「南朝鮮革命」による祖国統一を追求したが,南北対話も排除しなかった。72年の社会主義憲法採択とともに共和国主席に就任した。対外的には,反米闘争路線を採用しつつ,中ソ両国に対しても自主路線を展開した。
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1912.4.15~94.7.8
朝鮮民主主義人民共和国の政治家。平安南道出身。3・1運動後,中国東北地方に移住し,満州事変後は抗日武装闘争を展開したとされるが,この間の経歴にはなお不明な点も多い。日本敗戦後,朝鮮人民革命軍とともに帰国。朝鮮共産党北朝鮮分局責任秘書・北朝鮮労働党副委員長などを歴任し,1948年朝鮮民主主義人民共和国首相。72年国家主席。その革命理論はチュチェ(主体)思想とよばれる。
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…日成は1930年ころからの組織名で,当初は一星(同音)とも書いたという。当時の日本軍や警察関係者,現在の韓国体制側に〈金日成〉襲名説をなすむきがあるが,客観的根拠がない。平安南道大同郡(現,平壌市万景台区域)に生まれ,1925年民族運動家であった父金享稷(1926没)にともなわれて西間島に移住,撫松第一小学校,華甸県華成義塾をへて,27年吉林毓文中学入学後共産青年同盟の活動家となり,29年には国民党軍閥政権による逮捕投獄も体験した。…
…また省内の20以上の県に武装農業移民が入植し,中国農民の土地を取りあげて入植地とした。このような日本の支配に抗して,楊靖宇(1905‐40)らは反満抗日の運動を展開し,長白山地の峻険な地形と密林を利用しつつ,日本軍の討伐に頑強な抵抗を示したし,延辺地区では金日成らが,朝鮮独立運動を推進した。延辺地区には,朝鮮に対する日本の植民地統治政策の結果土地を奪われて流入した人々が多かっただけに,独立運動(朝鮮光復運動)の本拠として大きな役割を果たしたのである。…
…しかし満州事変当初有力だった中国国民党系等の反満抗日軍が急速に崩壊するにつれ,日帝側は〈共産匪〉に〈集中討伐〉を加え,〈集団部落〉をつくったり謀略団体〈民生団〉を送りこんだりした。この34‐35年の厳しい時期に現出した解放区放棄方針等の指導の混乱を,金日成の主導のもとに克服した朝鮮人民革命軍は,以後朝鮮に最も近い長白県に根拠地をおき,コミンテルン7回大会(1935)を背景に朝鮮の民族解放と革命の独自の課題に集中するようになる。すなわち36年5月に祖国光復会を組織し,37年6月豆満江上流の朝鮮側にある普天堡に進攻するなど,国内民衆との連係を重視した。…
…朝鮮における抗日武装闘争の後期1936年5月に,鴨緑江上流中国側の長白県に根拠地をおく金日成(きんにつせい)らが組織した朝鮮人の抗日民族統一戦線組織。その綱領10ヵ条は,反帝反封建の人民民主主義革命段階の課題を系統的に示したものとされる。…
…金日成(きんにつせい)の名のもとに唱道されている朝鮮民主主義人民共和国の思想原理。自力更生論をいっそう包括的な哲学体系に発展させて,1960年代後半以降チュチェ(主体)思想と呼ぶようになった。…
…朝鮮戦争(1950‐53)後は休戦ライン以北を支配領域としており,9道19市144郡からなる。1930年代中国東北で展開された抗日武装闘争の革命伝統を受けつぎ,朝鮮労働党をひきいる金日成を建国以来の指導者として,自主独立の姿勢で一貫してきた。94年の金日成没後,金正日を中心とする後継者体制を築きつつある。…
…朝鮮民主主義人民共和国の政権を担う政党。1930年代の抗日パルチザン闘争の革命伝統を継承し,金日成のチュチェ(主体)思想を指導指針とし,〈共和国北半部における社会主義の完全な勝利と全国的範囲における民族解放民主主義革命・祖国統一の実現を当面の目的,共産主義の建設を最終目的〉としている。労働者・農民・勤労知識人の前衛部隊であると同時に,朝鮮民族と朝鮮人民の利益を代表する大衆的政党でもあるとされている。…
※「金日成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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