中条家長(読み)なかじょう いえなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中条家長」の解説

中条家長 なかじょう-いえなが

1165-1236 平安後期-鎌倉時代の武将
永万元年生まれ。成尋(じょうじん)の子。藤原道兼の流れをくむ八田知家(はった-ともいえ)の養子。武蔵(むさし)埼玉郡上中条(かみちゅうじょう)が本拠地で中条を名のった。一ノ谷の戦いでは源範頼(のりより)にしたがう。鎌倉幕府宿老として将軍源頼家(よりいえ),源実朝(さねとも),九条頼経(よりつね)につかえ,ながく評定衆をつとめた。嘉禎(かてい)2年8月25日死去。72歳。姓は「ちゅうじょう」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中条家長の言及

【中条氏】より

…武蔵国中条保(埼玉県北部)を本領とする中世武家。武蔵七党横山党の流れをくみ中条保を領した義勝房法橋成尋(異称中条法印)の子家長が,下野国の雄族八田知家の養子となり,藤原姓中条氏の祖となった。家長は源範頼・義経の平氏追討軍にも名を連ねているが,その活躍はむしろ平時の政務において知られる。1225年(嘉禄1)創設された評定衆の一員として36年(嘉禎2)没するまでその任にあったほか,幕府の指令を伝達する特使としてたびたび上洛。…

※「中条家長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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