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成尋 じょうじん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

成尋
じょうじん

[生]寛弘7(1010)
[没]元豊4(1081)
平安時代天台宗の僧。7歳のときに出家し,洛北岩倉の大雲寺の文慶に師事した。延久4 (1072) 年に宋に渡り,太平興国伝法院に住した。神宗の勅により降雨の法を行なったところ霊験があったので善慧大師の号を許された。

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デジタル大辞泉の解説

じょうじん〔ジヤウジン〕【成尋】

[1011~1081]平安後期の天台宗の僧。藤原佐理(ふじわらのすけまさ)の子。62歳で入宋し各寺を巡礼。訳経場の監事となり、経典を日本へ送った。のち、宋で没。宋の神宗から善慧大師の号を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

成尋 せいじん

成尋(じょうじん)(1)

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朝日日本歴史人物事典の解説

成尋

没年:元豊4.10.6(1081.11.9)
生年:寛弘8(1011)
平安中期の入宋僧。日宋文化交流に大きな役割を果たし,滞宋中の始終を記した『参天台五台山記』の著で有名。藤原貞叙の子。母は源俊賢の娘ともされ『成尋阿闍梨母集』で広く知られている。7歳にして京都岩倉大雲寺の文慶の室に入った。文慶は当寺最初の検校で三条天皇の護持僧や三井寺長吏に任じられた名僧であったが,成尋は彼のあとを継ぎ長久2(1041)年,31歳で大雲寺の別当になり,以後,31年間在職した。この間,彼は胎蔵,金剛,蘇悉地の大法や護摩秘法などの密教の秘法を文慶,悟円,行円の各師に学び,一方,法華経の精義にも通じ宮中の法華八講に出仕し,延暦寺阿闍梨に任じられ,藤原頼通の護持僧を20年間にわたって勤めるなど,その活躍は順風満帆を思わせた。しかし早くから入宋して五百羅漢常住の地天台山と文殊化現の山五台山を巡礼する志が強く,康平3(1060)年,三井の新羅明神(大津市園城寺の鎮守神)に渡海の祈請をし,延久2(1070)年,入宋の許可を請う奏状を朝廷に奉り,延久4(1072)年3月,肥前国松浦郡壁島(佐賀県東松浦郡呼子町加部島)より出帆した。この前後の事情については前記『母集』に詳しい。渡宋後は両山を巡礼し,皇帝神宗に謁見を許され,祈雨の秘法を行ずるなどの活躍をして善慧大師の号を賜ったが,ついに帰国することなく,彼の地に71歳の生涯を閉じている。<参考文献>平林文雄『参天台五台山記校本並に研究』

(小原仁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

じょうじん【成尋】

1011‐81(寛弘8‐永保1)
平安中期の天台宗の僧侶。藤原貞叙の子(一説に参議藤原佐理の子)。母は《成尋阿闍梨(あじやり)母集》の作者として名高い。7歳のとき,岩倉大雲寺に入り受戒。1054年(天喜2)勅を受けて延暦寺総持院阿闍梨となり,72年(延久4)62歳のとき入宋し,天台,五台の両山を歴遊した。ついで汴京(べんけい)にて神宗に謁し,紫衣を許された。その後太平興国伝法院に住し,同地における訳経事業にも参加した。73年夏,祈雨の修法をなして,宋朝より善慧大師の号を受け,かつ同年には大小乗経律論527巻を便船に託して日本へ送った。

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大辞林 第三版の解説

じょうじん【成尋】

1011~1081) 平安後期の天台宗の僧。藤原佐理の子という。1072年入宋、神宗しんそうから善慧大師の号を受け、訳経場の監事を務めた。経典五百余巻を日本に送る。中国の開宝寺に没す。著書に「法華経註」「参天台五台山記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

成尋
じょうじん
(1011―1081)

平安末期の天台宗の僧。京都の人。藤原佐理(すけまさ)の子。兄の文慶(もんけい)に就いて出家。顕密二教を学び、43歳で延暦寺(えんりゃくじ)総持院阿闍梨(あじゃり)となる。1072年(延久4)3月、62歳で入宋(にっそう)し、杭州(こうしゅう)・天台山(浙江(せっこう)省)、蘇州(そしゅう)・南京(ナンキン)(江蘇省)、東京(トンキン)(河南省)、五台山(山西省)を巡拝した。宋地で収集した仏典を、73年6月、同行した頼縁(らいえん)らに託して日本へ送ったが、自らは宋の神宗(しんそう)の強い慰留で帰国を断念し、同地で寂した。天台山国清寺(こくせいじ)に葬られ、神宗より善慧大師(ぜんねだいし)の号を賜った。成尋が入宋の途についてから頼縁らが帰国するまでを克明につづった『参天台五台山記(さんてんだいごだいさんき)』は、渡海した僧の行動、宋地の当時のようすを語る貴重な資料である。[中尾良信]

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世界大百科事典内の成尋の言及

【参天台五台山記】より

…天台宗の僧成尋(じようじん)の入宋日記。8巻。…

【巡礼】より

…この山は,5世紀の北魏のころから《華厳経》にみえる文殊菩薩の住地たる清涼山にあたると信ぜられ,唐代になると,仏教界第一の霊地として中国ばかりでなく東アジアの全仏教界にその名を知られた。日本の僧侶も,唐代には玄昉(げんぼう)や円仁,宋代には奝然(ちようねん)や成尋などが,いずれも五台山巡礼を行っている。なかでも,〈巡礼〉ということばを書名に含んでいる円仁の《入唐求法巡礼行記(につとうぐほうじゆんれいこうき)》は,五台山仏教全盛期における大華厳寺以下の諸院を巡礼した次第をていねいに記録している。…

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