朝日日本歴史人物事典 「中沢浅之丞」の解説
中沢浅之丞
生年:享保10?(1725)
江戸中期の義民。信濃(長野県)小県郡夫神村生まれ。宝暦11(1761)年に起きた,年貢減免などを要求する上田藩宝暦騒動の指導者で,強訴の罪で同村の半平と共に中島河原で死罪となる。同騒動の史料『上田騒動実記』にはふたりの処刑の際のやりとりが描かれ,辞世の句が記されている。また『上田縞崩格子』には抵抗権思想の萌芽とみられる文言が記載されている。法名竿外道刹信士。大正13(1924)年宝暦義民之碑を建立。昭和57(1982)年には宝暦騒動の句碑が建立された。<参考文献>横山十四男『上田藩農民騒動史』
(小椋喜一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報