日本歴史地名大系 「中河原新田」の解説 中河原新田なかがわらしんでん 新潟県:糸魚川市中河原新田[現在地名]糸魚川市中川原新田(なかがわらしんでん)土倉(つちくら)村の南、早(はや)川右岸にある。本村と上流の猪平(いのひら)の集落からなる。対岸は砂場(すなば)村。猪平は天正年間(一五七三―九二)に不動山(ふどうやま)城主山本寺孝長の家臣平内九右衛門が帰農して開拓した地という(西頸城郡誌)。万治四年(一六六一)高田(たかだ)(現上越市)の刀屋勘兵衛が、焼(やけ)山噴火による火山灰台地にある広い芝野に着目し、高田藩に開発を願出た。地元住民は新田開発するのなら地元越(こし)村の大肝煎斎藤仁左衛門の手でと願出、藩は仁左衛門に中河原の開発を命じた。開発地は火山灰地で、早川と支流前(まえ)川に挟まれ、両側は崖となっているため用水の引水に苦労したという。 中河原新田なかかわらしんでん 静岡県:周智郡森町中河原新田[現在地名]森町森太田(おおた)川筋西側、下河原(しもがわら)新田の南に開ける。同新田と同じ頃に開発されたとみられ、開発者は不明。周知(すち)郡に属する。明和六年(一七六九)の一札之事(山中家文書)には三ヵ村入会中河原新田とある。同文書によれば、同年暮れ、それまで中泉(なかいずみ)代官所(現磐田市)への諸事御用を世話してきた森町村五兵衛に村方(三ヵ村の名は不明)は世話料米二俵を支払い、以後御用は村方で引請けることとした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by