日本歴史地名大系 「丸亀町」の解説 丸亀町まるがめまち 香川県:高松市高松城下丸亀町[現在地名]高松市丸亀町高松城の南大手に架かる常磐(ときわ)橋の南詰から城下町の中央を一直線に南に延びる大手筋両側に形成された城下第一の商人町。俗に北から一―四丁目に分けてよばれ、東側は片原(かたはら)町・西百間(にしひやつけん)町・大工(だいく)町・今新(いまじん)町・御坊(ごぼう)町、西側は兵庫(ひようご)町・古新(ふるじん)町・外磨屋(そととぎや)町・南紺屋(みなみこんや)町・南鍛冶屋(みなみかじや)町。一丁目は西百間町筋・古新町筋まで、二丁目は大工町筋・外磨屋町筋まで、三丁目は今新町筋・南紺屋町筋まで、四丁目は御坊町福善(ふくぜん)寺西中央部まで。四丁目に続いて南新(みなみしん)町がさらに南に延びている(天保一五年城下図)。町名は生駒正俊が慶長一五年(一六一〇)丸亀城から高松城に入った際、丸亀商人を移住させたのにちなむと伝える(綾北問尋鈔)。 丸亀町まるがめちよう 岡山県:岡山市岡山城下丸亀町[現在地名]岡山市野田屋町(のだやちよう)二丁目外堀と西(にし)川の間で、南北に通る山陽道に沿って発達した両側町。山陽道は当町で西に折れ東西の道となり、万(よろず)町口へ続く。東は細堀を隔て国恩(こくおん)寺・養林(ようりん)寺、南は山崎(やまさき)町、西は細堀を隔て野田屋町、北は山陽道を隔て下市(しもいち)町。寛永城下絵図では「博労町」とみえる。延宝四年(一六七六)博労(ばくろう)町が二分され北が丸亀町となった。このときの家数三八軒、表間一六八間余(「諸用留」国富文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報