日本歴史地名大系 「丸小野村」の解説 丸小野村まるおのむら 大分県:東国東郡武蔵町丸小野村[現在地名]武蔵町丸小野狭間(はさま)村の西、武蔵川の最上流域に位置する。北は蛇谷(へびたに)山嶺を境に赤松(あかまつ)村(現国東町)、西は両子(ふたご)村(現安岐町)。武蔵川支流の狭間川は当地の狭間新池に源を発する。村名は六郷山中山本寺の丸小野寺に由来する。康元二年(一二五七)一二月一〇日の僧源応譲状案(瑠璃光寺文書)に「安岐郷内円小野」とみえ、当時は安岐(あき)郷に含まれていた。同譲状案によると、「六郷山椙山田畠山野」は瑠璃光(るりこう)寺(現安岐町)の所領で重代相伝の私領であったが、前年八月二五日の火災で証文を一通残らず焼失、母藤原太子も焼死した。 丸小野村まるおのむら 大分県:大野郡清川村丸小野村[現在地名]清川村六種(むくさ)石原(いしばる)村南方の山間にあり、西は北東流する馬背戸(ませど)川を隔て大無礼(おおむれ)村(現緒方町)。江戸時代後期に独立村となったとみられ、「豊後国志」に丸小野とみえる。安永七年(一七七八)には馬背戸組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by