新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「丸山孝一郎」の解説 丸山 孝一郎マルヤマ コウイチロウ 肩書衆院議員(中央倶楽部),興亜学校校長 生年月日嘉永2年(1849年) 出生地出羽国米沢(山形県) 経歴明治初年米沢藩士から海軍に入り、海軍法務官。のち渡辺洪基らが興亜会を設立、中国語教育を目的とする付属興亜学校を創立、その校長となった。明治15年官立東京外国語学校中国語科が創設されて学生を引き継ぎ辞任。のち郷里で市会議員、市会議長、製糸会社社長を務めた。また米沢から衆院議員に当選、中央倶楽部に属した。 没年月日明治45年5月 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸山孝一郎」の解説 丸山孝一郎 まるやま-こういちろう 1849-1912 明治時代の教育家,政治家。嘉永(かえい)2年11月生まれ。海軍軍人,海軍法務官。中国語教育を目的として創立された興亜学校の初代校長となる。米沢市会議員,同議長をへて,明治41年衆議院議員。明治45年5月12日死去。64歳。出羽(でわ)米沢(山形県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by