20世紀日本人名事典 「丸木利陽」の解説 丸木 利陽マルキ リヨウ 明治・大正期の写真師 生年嘉永7年4月14日(1854年) 没年大正12(1923)年1月21日 出生地越前国(福井県) 旧姓(旧名)竹内 惣太郎 経歴明治改元以降、丸木利平の養子となる。写真師の二見朝隈に師事、13年独立して東京・麴町で写真館を開業。22年煉瓦造りの写真館を港区芝に新築。同年2代目鈴木真一と天皇・皇后の肖像写真を撮影。23年名を利陽とする。同年第3回内国勧業博覧会で3等賞を受賞。大正2年宮内省調度寮嘱託。東京の写真師組合長を務め、東京美術学校の臨時写真科設立にも力を尽くした。レンブラントの映画の明暗法を撮影に応用し“丸木式採光法”を考案したことでも知られる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸木利陽」の解説 丸木利陽 まるき-りよう 1854-1923 明治-大正時代の写真家。嘉永(かえい)7年4月14日生まれ。二見朝隈(あさくま)にまなび,明治13年東京で写真館を開業。22年鈴木真一とともに天皇,皇后を撮影。23年第3回内国勧業博覧会で3等賞。大正2年宮内省嘱託。4年東京美術学校(現東京芸大)の写真科創設につくす。大正12年1月21日死去。70歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。旧姓は竹内。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by