日本歴史地名大系 「丸柱村」の解説
丸柱村
まるばしらむら
保延五年(一一三九)以前にすでに東大寺領であったことは、同年三月二三日の美作守平忠盛下文案(東大寺文書)に現れる。久寿二年(一一五五)頃、信楽庄に取入れられ、東大寺との間に論争が行われた(保元三年四月「伊賀国在庁官人等解」百巻本東大寺文書)。国境論争は江戸時代にも行われ、この時は負公事に終わり(「永保記事略」元禄一三年三月三日条)、当村と北隣の槙山村との間は現在の国境線のように楔を入れられた形になった(→三郷山)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報